3. Moldoviţa  モルドヴィツァ修道院

 

画像:2016/06/02撮影。入口から聖堂を眺める。

      

      画像:2016/06/02撮影。建物南東からの眺め。

      

 

 このように内陣と後陣の外壁に聖人群像を描くのは、他のビザンチン芸術にはないBukovina 芸術の特徴である。ブコヴィナ芸術が通常のビザンチン芸術と乖離している点は、上の聖人群像のほかに二点ある。

  その一つはVotive painting(奉納画)である。次の画像はMoldovita Monasteryの墓室の奉納画である。この教会の奉納者はPetru Rares(ペトル・ラレス)である。ペトル・ラレスはステファン大王の庶出の子であったが、王位に就いた。描かれているのは王冠を被ったペトル・ラレス夫妻と子供達であるが、その服装はビザンチン芸術の規範に服せず、1530年当時の服装のまま描かれている。

      

      画像:”The Monasteries in Bukovina” P14から

 

 さらにもう一つの乖離点は、このMoldoviţa Monasteryの南外壁に描かれている「コンスタンチノープルの攻撃」という歴史画である。これもビザンチン芸術の枠から外れている。ビザンティン芸術に歴史画というジャンルはそもそも存在しない。

  下に「コンスタンチノープルの攻撃」を含めた巨大な「受胎告知」聖歌画を示す(南側外壁)。往時の参拝者はこの絵の前で「受胎告知」聖歌を歌うのが習慣だったらしい。


画像:”The Monasteries in Bukovina” P15から

  上部合計24連の図柄は聖処女に捧げられた古代のAkathystos Hymn(9世紀に遡るAkathystos聖歌)に使われる絵画である。最初の12連は聖処女とその子キリストの生涯を描いており、つまり、受胎告知(最初の4枚)からキリストの寺院への披露までを描き、続く12連は聖処女とキリストを讃えて神秘主義的で詩的な祈願呪文を暗示している。

(解説は”Medieval Monuments of Bukovina” ACS, P179)

 

   この壁の下方に、24連の図柄の下に、コンスタンチノープルの攻略図がある。

   モルダヴィアの芸術家が描いたコンスタンチノープルは、取り囲まれた堅固な壁と防禦塔のある要塞、モルダヴィア風の家屋と教会、それに七つの丘のパノラマ画であった。

(以下引用:”Moldvita Monastery” Terra Design, P04)

 

   攻略の間のコンスタンチノープルの内部状況は、次の通りである。:街要塞の通りを強制された行進が進行中である。二人の人物が先頭に立って、聖頭布とイエスを腕に抱く聖処女のイコンを手に持っている。(後部外壁内側) 彼らに続くのは聖職者達、皇帝と高官達。皇帝妃、随員達と民衆である。(障壁前方内側) 人々が勝利を祈念して祈っている間、戦士達は要塞を防禦している。

   この場面の右側では、トルコの陸軍が描かれている。:歩兵隊、騎馬隊ならびに砲兵隊が四つの高い丘の後ろから要塞に近づきつつある。サルタンが彼の兵隊達のなかにいるが、彼は黄色い(灰色の?)馬に乗り、赤い服を着て頭に緑色のターバンを巻いている。丘の下方では、要塞から出て来た一人のモルダヴィアの兵隊がトルコの騎兵隊隊長と戦い、彼は落馬して死んだ。

            

   海上では猛烈な嵐が発生し、豪雨がトルコ軍に降り注ぐ。こうしてこの要塞は聖処女の助けにより奇跡的に救われた。(引用終了)

 

注:1453年5月29日、オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)が陥落した。この事件により東ローマ帝国は滅亡。古代からのコンスタンチノープルの陥落はビザンチンとビザンチン芸術の終焉をも意味するものであった。コンスタンチノープル陥落後、ビザンチン芸術の工房はクレタ島に移った、と伝えられる。ギリシャ正教の跡を継ぐ者にとっては、忘れられぬ出来事であったろう。

 

画像:2016/06/02撮影。

 先ほどの「コンスタンチノープルの攻略図」の左に上の図があって、「Mose’s Stake」(モーセの棒)と表題されているのだが、私の浅学の所為で何が書かれているのかわからない。

参考

   ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。紅海に 追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って紅海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ[10]

 

画像:2016/06/02撮影。修道院西端から僧院を眺める。

 

画像:2016/06/02撮影。Exo-nartexの北壁。

 

画像:2016/06/02撮影。

   Nartex vaultの天井部分。聖処女が見下ろしている。彼女の手は掲げられていて彼女が祈っていることを示す。彼女が胸中に抱えている彼女の息子も似たような仕草をしている。このペンダントを取り巻いて、四人の聖歌作者が描かれている。壁面上部に描かれているのは、七つの公会議(Ecumenical Councils)である。

 

画像:2016/06/02撮影。Nartex東面

           

             画像:2016/06/02撮影。墓室内東側天井

           

 

画像:2016/06/02撮影。Naveのドーム。

画像:2016/06/02撮影。Nave北側コンク。

 

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