2. Voronet  ヴォロネット修道院

 

最後の審判

解説

  キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリスト再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという。

 

画像:2016/06/02撮影。

 

壁画の位置:

 

  西面全体とコーナーの控え壁の面は、それはまるで門を開けた状態のように見えるのだが、大きな「最後の審判」の絵で覆われている。この絵は一般的な中世の精神性とモルダヴィア地方の精神性、とくに16世紀の間のそれ、を表象している絵画である。

  一般的な配置は既にプロボータ、フモール、並びにモルドヴィツァ修道院・教会の絵画に示されている通りである。これらの両者はエキソ・ナルテックスあるいは玄関の中か外側に描かれてあり、それはスチャヴァの聖ヨハネ新修道院の聖ゲオルギウス教会、あるいはパトラウツィの聖十字架教会、また、バリネスティの聖ニコラス教会の西面ならびに、アルボーレ教会の南面でも同様である。;ヴォロネットで使われたあとは、ラスカ(Râşca)修道院ならびにスチェヴィータ修道院でも使われた。(解説:”Medieval Monuments of Bukovina” ACS, P197)

 

  軒庇のすぐ下に、Ancient of Days(ダニエル書に現われる「神」)が天の開闢から世界の終焉の場面にあらわれる。一方、天使達が自然界の時代の黄道帯記号のついた巻物を拡げ、永遠の戸口に立っている。(解説:”Medieval Monuments of Bukovina” ACS, P197)

画像:”Voronet” ©Mănăstirea Voronet 2007, P39,40

拡大図

            

 

 次の段では、公正な裁判官キリストが虹の上で、(伝統的なイコンである)デイシス(ギリシャ語で「祈り」の意)の真ん中で審判を開始する。有徳の公正人達グループをなして聖使徒ペトロによって指揮されて天国の門へと進む。彼らは(最高位の天使で6枚の羽を持つ)熾天使によって守護されている。聖処女、長老アブラハム、イサク、ヤコブならびに右盗(うとう、ディスマス)はすでに天国にいる。白い背景で真ん中に智恵の樹が描かれているが、キリストとニュー・アダムはその枝の間に避難している。(以下すべての解説は:”Medieval Monuments of Bukovina” ACS, P197)

 

中央部分の拡大図

画像:2016/06/02撮影。虹の上に座る裁判官キリスト。

 

 構図の中心軸に沿って、聖霊が三位一体のイメージを完結させている。聖霊は一羽の鳩として表現され、ヘトイマシア(空の玉座で、キリストの苦難の象徴として、最後の審判に備えている)に坐っている。玉座の両側に跪いているのは、アダムとイヴである。

(Iconography 46. Hetoimasia ヘトマイシアを参照せよ)

画像:2016/06/02撮影。ヘトマイシアに坐る白鳩(聖霊)。

 

                          

                            画像:”Bukovina” ACS P198

                            西側正面:最後の審判:天使達が霊魂を秤量している。


画像:”Bukovina” ACS P199

西側正面:最後の審判

 

画像:2016/06/02撮影。大天使ミカエルによる魂の秤量

 この階層の下では、大天使ミカエルが魂を秤量している。その一方で天使達と悪魔達が戦っている。公正なる裁判官の足下から火の海が流れ出している。その反対側はレビヤタン(巨大なもの)によって膨れあがり、一人の歓喜の声を揚げるサタンが守備している。重罪罪人達は川の赤い水のなかでのたうち回っている。:キリスト教徒達を処刑した皇帝達、異端者アリウス、モハンマド達である。キリストの左側で天使達と使徒達の登録簿の下ではモーゼが非キリスト教徒達を審判へと導いている。川の対岸には、死者の復活-奇抜な副題テーマの絵-が三つの中心から構成され、自然元素(空気、土地、海)によって表現され、これらは時間の経過とともにそれらのなかに死んで埋められた死体を解きはなって行く。

画像:”Voronet” SIBIU 2007 P39 part。モーセが非キリスト教徒達を審判に導く。

                

                  画像:2016/06/02撮影。死者の復活

 

 この絵を鑑賞する人達の階層で-いまにも起りそうな結末の記念品として、そして同時に傑作として-描かれているのは、ダヴィデ王と詩人が、死に行く貧者の枕元でリュートを奏でている場面である。死に行く貧者の魂は一人の天使によって受け止められている。これはきっと精神的、教養上の旅程日程の希望に満ちあふれた喜ばしい最後のイメージなのであろう。

 

        

        画像:2016/06/02撮影。ダヴィデ王と詩人が、死に行く貧者(公明正大な人)の枕元で

                       リュートを奏でている。


画像:2016/06/02撮影。大天使ミカエルとガブリエルにはさまれた聖母。左に十字架を持つ聖ディシス。その左に族長達:アブラハム、イサク、ヤコブ。

 

 

注:

画像:(ギリシャの)ヴァルラアム修道院はメテオラ地域で二番目に大きい修道院である。1541年に建てられ、1548年に装飾された。ここのフレスコ画は後期ビザンチン図像学者フランゴス・カテラノスによって描かれた。

 

 Bukovina修道院の時代よりも遅れて描かれたギリシャ・メテオラのヴァアラム修道院の「最後の審判」であるが、パターンも絵柄もほとんど同一であることが読み取れる。つまり、ビザンチン芸術とは個々の芸術家により発揮されるべき自由度がほとんど欠如した、「形式にとらわれた」、「堅苦しい」芸術であることが窺われる。ビザンチン世界にあっては、一般人にとって「自由度のある状態」よりも、「型に嵌められた」状態が「快く」感じられるのかもしれない。もしそうであるなれば、ロシアTVに写し出される「プーチンの前でかしこまって彼の演説を聴いているロシアの官僚達」がビザンティン精神をもっともよく今に伝えているのかもしれない。

 

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