25. the Dormition of the Virgin  生神女就寝祭


フモール修道院 

画像:"The Medieval Monuments of Bukovina" ACS, P207
フモール修道院、身廊、西壁


注:Dormitionとは?
生神女就寝祭(しょうしんじょ・しゅうしんさい)
聖書には対応する記述がなく、伝承に基盤を持つ。その伝承によれば、マリヤはその晩年をエルサレムで、天国に入ることを望みつつ平穏に暮らしていたが、ある日、己の死が数日後に迫ったことを悟り、望みがかなう日が近いことを知って喜び、家を片付け、持ち物を施して、死の訪れを待った。ただ、彼女が子とも友とも慕うイエスの直弟子たち、十二使徒が宣教の旅にいて会えないことが残念に思われた。ところがその日エルサレムにトマスを除くすべての使徒たちが戻ってきたのである。マリヤは喜び、悲しむ使徒たちを慰め、みなに別れを告げて平穏に眠りについた。三日後トマスが到着し、使徒たちとともに墓を訪れたところ、そこに葬られたはずのマリヤの身体はすでになく、天より現れたマリヤが、己が天の生命に遷されたことを告げた。使徒たちは歓喜し、マリヤを賛美した。(引用
ローマ・カトリック教会の聖母被昇天の大祝日(8月15日)に対応。



他の例
カーリエ博物館

                                  

                                  画像:カーリエ博物館、イスタンブール、14世紀
                                  生神女就寝(コイシメス)のモザイクイコン。ハリストス

                                (キリスト)が中央に描かれ、ハリストスは幼女の姿をした

                                  マリヤの霊を抱いている。

                                  幼女の姿はその純潔を意味している。



生神女就寝大聖堂、シロス島 エルムポリ

      

画像:生神女就寝のイコン、エル・グレコ画。16世紀、シロス島 エルムポリ、生神女就寝大聖堂
生神女就寝(1567年以前、画版上にテンペラと金、61,4 × 45 cm、シロス島 エルムポリ、生神女就寝大聖堂)は、多分エル・グレコのクレタ島時代の最後に作成されたものであろう。この絵画は、ビザンテイン後期とイタリアのマニエリスムの様式と図像学的要素とを結合させたものである。