7b. Legend - St. John the New 聖新ヨハネとは?

 


                                      

                                       画像:スチャヴァのゲオルゲ教会にある聖新ヨハネの殉教イコン

 

スチャヴァの新ヨハネ

 聖なる、栄光ある、まさしく勝利を得た偉大な殉教者、スチャヴァの新ヨハネ(Romanian: Sf. Mare Mucenic Ioan cel Nou de la Suceava)は、14世紀のルーマニア人の聖人である。彼の祝日は6月2日と6月24日である。

 

解説

 聖ヨハネは1300年頃、小アジアのトレビゾンドで信心深い正教の両親のもとに生まれた。

                                             

                     画像:1204年のトレビゾンド帝国(紫色)

 彼の父親は商人であり、ヨハネは彼の後を継いだ。チェタテア・アルバ(Cetatea Albă、その当時はモルドヴァの一部だったが、現在はウクライナのビルホロ・ドドニストロフシキー)への商旅行の際、彼は一人のヴェネチア商人で名前をレイス(Reiz)という男と知り合った。黒海上を航行中のときのことである。彼らは何回も信仰について語り合ったが、ヨハネが常に論争に打ち勝つのを見て、ヴェネチア人は復讐することを決めた。

                     

                      画像:チェタテア・アルバ

                      (現在はウクライナ領ビルホロ・ドドニストロフシキー)

画像:チェタテア・アルバは、もともと6世紀にMilesian(トルコのギリシャ人)が開拓した植民地だったが、その後、ローマとビザンティンの支配のもとにあった。古代末期、ビザンティン市民がここに城塞を築き、Asprokastron ("White Castle")と名付けたのがこの城。

 

 チェタテア・アルバに到着するや、レイスはヨハネがキリスト教徒を建前としながらも、モスレム信仰に興味を持っている男だと噂を流した。チェタテア・アルバはその当時、モスレムのタタール族によって征服されており、その支配者がこの噂を聞きつけ、ヨハネを呼びつけた。彼は支配者の前に引き出され、彼がキリスト教信仰を否定し、モスレム信者になることを希望しているというのは真実か、と聞いた。彼はこう答えた。被創造物あるいは人類の創造を崇拝するために、真なる神への信仰を決して断念することはない、と。この答えはタタール族の支配者を怒らせた。彼はヨハネの信仰を放棄させるために拷問させることを命じた。彼は信仰の放棄を拒否した。何回もの鞭叩きに堪え、結局、街の通りを馬によって引きずり回され、その挙句、ひとりの狂信的なユダヤ人によって頭を打ち落とされた。その年は1330年であり、ヨハネはそのとき30歳にすぎなかった。彼の死を聞いて、レイスはこの殉教者の死体を掘り起そうと決心し、復讐の更なる行為としてそれを盗んだ。しかし、街の正教の牧師が夢を見た。その夢のなかで、ヨハネは牧師にこの犯罪を通報し、彼の死体を正教教会に戻すように頼んだ。これがこの偉大な殉教の最初の奇蹟であった。何年もの間、彼の聖遺物はチェタテア・アルバに保管された。ここでは癒しとか他の奇蹟で有名になったのだが、結局王子善良王アレクサンドル(在位1400-1432)がこの殉教者の聖遺物のことを耳にし、モルドヴァの府主教(metropolitan)ヨーセフ・ムツァトの懇願に応じ、1402年6月24日彼の首都であるスチャヴァへと持ってこさせた。ヨハネの腐敗していない聖遺物はこの街の彼の名前が記された修道院で現在まで保管されている。

聖新ヨハネはモルドヴァで最も崇拝されている聖人の一人であり、彼の聖遺物には沢山の奇蹟が生じている。

 

 

注:詳しい伝説(英語)

 ヴォロネット修道院外壁・南壁に描かれているイコン(下の写真のピンク色で囲まれた部分)を用いた聖新ヨハネ伝説。


画像:2016/06/02撮影。ヴォロネット修道院南外壁、入口周辺。

 

1. トレビゾンドの商人ヨハネがチェタテア・アルバのタタール族支配者(モスレム)に呼び出され、訊問を受ける。

             

              画像

 

2. 支配者はヨハネの信仰を放棄させるためにヨハネを拷問させることを命じた。

                

                 画像

 

3. ヨハネは自分の信仰の正しきことを支配者に説明する。

             

              画像

 

4. 彼は信仰の放棄を拒否した。何回もの鞭叩きに堪えた。

        

         画像

 

5.彼は流れ出す血が自分を洗い、自分の罪を洗い流してくれるよう、神に祈る。

            

             画像

 

6.彼の新たなる信仰告白を聞いたタタール族支配者は逆上し、更なる暴虐を命じる。

              

               画像

 

7. 結局、街の通りを馬によって引きずり回され、その挙句、ひとりの狂信的なユダヤ人によって頭を打ち落とされた。

            

             画像

 

8. その晩、奇蹟が生じた。死体の側に沢山の蝋燭が燃え、天使達が姿をあらわし、火の柱が立ち、天まで届いた。キリスト教の牧師達が来て埋葬を始めたとき、殺人者のユダヤ人が来て、弓と矢で牧師達を殺そうとした。が、彼の両手は弓と矢に固着され、矢を放つことができない事態となった。

           

            画像

 

9. モスレムの裁判官はこの奇蹟におおいに驚き、キリスト教徒に命じて死体を引き取り埋葬するよう命じた。そこで彼の遺体は教会の近くに丁寧に葬られた。

   

    画像

 

10. 事後、ライスが更なる侮辱を果たそうとして彼の墓を掘り返したが、このときも奇蹟が生じて牧師達の知るところとなり、聖遺物はとりかえされ、教会の聖壇の近くに置かれることとなった。この聖遺物からはいまでも奇蹟が生じている。

   

    画像

 

            

             画像:スチャヴァの聖ゲオルゲ教会にある

                  聖新ヨハネ(St. John the New)の聖骨箱