ヘレナの発掘作業

2016/03/31

 

 ところでパレスティナでのヘレナの活動なのだが、彼女が当初大帝から受命した目標は、

 

A. ベツレヘムのキリスト降誕教会の創設

画像: 現在のキリスト降誕教会入口 Google Map, 2016.

 

B. エルサレム・オリーブ山昇天教会の創設

画像: 現在のオリーブ山、昇天教会

 

の二つであったのだが、そればかりか、ヘレナは現代のキリスト信者にとっても欠くべからざる重要場所の回復を行った。

 

画像:「聖十字架伝説:十字架の発見と検証」

ピエロ・デラ・フランチェスカ (1452-58年ころ)

アレッツォ(イタリア)、 サン・フランチェスコ聖堂 蔵

注:病人の前に跪く黒服の女性が聖ヘレナ

 

Wikipedia Helenaからの翻訳:

   その当時エルサレムは(西暦130年に行われた)ハドリアヌス帝による破壊(ユダヤ人のエルサレムからの追放も含めて)の跡を受けて再建中であった。ハドリアヌス帝は磔の地の近くにあったキリストの墓の上にローマ神の寺院を建て、この街の名前をアエリア・カピトリーナに変えた。この寺院がヴィーナスに献げられたものか、それともジュピターだったかについては諸説がある。伝えられるところによれば、ヘレナはこの寺院を打ち壊し、4世紀末に出来上がった伝説によれば、一つの場所を選び、発掘を開始し、三つの異なる十字架を回収するにいたった。この伝説はアンブロジウスの論文「テオドシウス帝(395年死亡)の死について」のなかで詳しく物語られている。そしてエウセビオスの『教会の歴史』のアンブロジウスによるラテン語訳に添付されたルフィヌス章のなかでながながと説明されている。ところがエウセビオスの元本にはなんの言及もされていないのだ。そのとき、とルフィヌスは語る、皇后様は確実な証拠に足りないものによって左右されることを拒絶され、一つのテストをされたのである。多分エルサレムの司教マカリオスの采配によるものだと思うが、エルサレムの町から一人の瀕死の女性が連れて来られた。この女性が一番目と二番目の十字架に触れたときには彼女の状態は変わらなかったが、彼女が三番目で最後の十字架に触れたとき、彼女は突然回復した。そこでヘレナはこの女性が触ったこの十字架こそ真の聖十字架であると断定した。コンスタンティヌス大帝はこの発見の場所に聖墳墓教会を建築するよう命令を下した。ヘレナが発見したその他の場所にもまた教会が建てられた。ソゾメンテオドレトスが断定するところによれば、ヘレナは十字架の聖釘を発見した。この聖釘が彼女の息子にたいして発揮すべき魔力を期待して、ヘレナはその一つをコンスタンチヌス大帝の兜のなかに収め、もう一つを彼の愛馬の馬勒(ばろく)に使用した。

 ヘレナは西暦327年にエルサレムと東部諸州からローマに帰ってきた。彼女は聖十字架の大部分とその他の聖遺物を持ち帰り、それらを彼女の宮廷の私的礼拝堂に納めた。それらはいまでもその場所で見ることができる。彼女の宮殿はそののち現在のサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂に変わっている。彼女の宮殿は何世紀もの間、この教会付属の修道院のなかでシトー会の僧侶達によって維持されている。

 

以上、引用はHelena

 

       注:サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂

      

       画像:Santa Croce in Gerusalemme

 

画像:Google Map, 2016

 

           

            画像:サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会に保存されている

                キリストの十字架の破片。

 

 彼女のエルサレムでの活動を図解すると、

 

画像:ゴルゴタ、墓、ならびにコンスタンティヌス聖堂の輪郭。同時に示されているのは発掘区域と十字架の発見場所。

 

画像:コンスタンティヌス聖堂を建設するために行われた墓とゴルゴタの発掘

 

画像:聖墳墓教会コンプレックスのうちのコンスタンティヌス教会

 

画像:聖墳墓教会の図解。磔(はりつけ)の場所とイエスの墓のもともとの場所を示す。

 

画像:聖墳墓教会、左側祭壇の下に十字架がたてられていた場所ゴルゴタがある。

 

           

           画像:塗油の岩。十字架より降ろされ、埋葬の前にイエス・キリストの身体に

           油が塗られたとされる場所。

 

           

           画像:塗油岩の反対側にあるモザイク画。死後整えられるキリストの身体。

 

           

           画像:聖墳墓教会内部のロトゥンダ内部。イエスが十字架にかけられたゴルゴタ

           の丘でイエスの墓がある場所とされている。最初に建設されたのがAD325年。

           その後、火災や異教徒により何度も破壊されるが、そのたびに再建される。

 

     

     画像:イエス・キリストの墓。聖なる岩は大理石で覆われ、その上には復活を描いた絵画が

                      描かれている。

 

   こういうわけで現在のエルサレム聖地の心臓部を発見し、回復し、現在の形に仕立てあげた主役であるコンスタンティヌス大帝とヘレナはそののち聖化されることとなったのです。

 

         

         画像:伝統的なブルガリアのイコンに描かれたコンスタンティヌス帝と聖ヘレナ

 

聖墳墓教会の歴史の詳細については、Jerusalem 101 (Holy Sepulcher)を参照せよ。