鉄王冠
画像:モンツァ大聖堂に保管されているロンバルディアの鉄王冠
この鉄王冠については「カイゼルとは誰か?」でお話しましたね。そのときの解説は次でした。
モンツァ大聖堂に保管されているロンバルディアの鉄王冠。
はじめランゴバルド王国(ロンバルディア王国)の、のちに中世イタリア王国の王権の象徴とされた。
この王冠は黄金のサークレットの内側に幅1cmほどの鉄の輪を取り付けた構造になっている。この鉄の輪は、キリストが磔にされた際に使用された釘(聖釘)を叩き伸ばして細い帯状にしたと伝えられており、このことから「鉄王冠」と呼ばれ、また聖遺物とされている。
10世紀以降、神聖ローマ皇帝は同時にイタリア王でもあった。多くの君主はローマに赴き、神聖ローマ皇帝として戴冠するのだが、その途次ロンバルディアに赴いて鉄王冠を戴冠し、イタリア王に就く儀式を行った。カール大帝やオットー大帝、ハインリヒ4世、フリードリヒ1世バルバロッサなどの有名な皇帝も鉄王冠で戴冠している。
金と銀が80%、直径は15センチ、重さは535g。
その後、次のような記述がみつかりました。
1. 伝説によれば、その釘はキリストの十字架(聖十字架)を発見した聖ヘレナが息子のコンスタンティヌス大帝に与えたものであるという。
それが、なぜ北イタリアのゲルマン系の征服者であるランゴバルド王の手に入ったのかは不明であるが、ランゴバルドの王妃テオドリンダ(アウタリおよびアギルルフの王妃)が発見に関与したといわれている。(引用)
注:テオドリンダ(Teodolinda)は570年ごろ、バイエルン公と、ロンゴバルド王の娘との
間に生まれる。当時の一次資料は現存せず、すべて、8世紀に修道士パオロ・ディアコノがシ
ャルル・マーニュ(カール大帝)のために書いた「ロンゴバルドの歴史」の記述によるのだ
が、そのテオドリンダは18歳で、当時のロンゴバルド王アウターリ(Autari)と婚約。アル
プスのすぐ向こう側で、同じくフランク族の攻撃に悩む彼らと手を組むための政略結婚だった。
2. この女王の偉大な宝物の一つは神聖ローマ帝国皇帝シャルルマーニュによってイタリア王国の象徴であるとして選ばれた王冠である。この鉄王冠を保護する金庫はモンツァのドゥオーモのなかにあるテオドリンダ礼拝堂の中にある。
画像:モンツァ大聖堂のなかにザヴァッタリ礼拝堂がある。ここに鉄王冠が保存されている。この鉄王冠は中世初期に作られ、一本の鉄バンドのまわりにはめ込まれた金の頭飾りからなっている。この鉄バンドは伝説によれば、本物の十字架の釘を叩きなおしたものだという。(引用)
注:
画像:Theodolinda Chapelは主祭壇の左。
画像:
大聖堂の起源は6世紀にランゴバルド女王の命により建築されたことが
発端ですが、現在のゴシック様式の元を作ったのは14世紀にMatteo da
Campioneによって設計されました。その後1606年に80メートルの高さ
を持つ鐘楼が建築され、17~18世紀には正面のバラ窓などバロック様式
の手が加わり現在に至っています。
3. この王冠は6世紀にこの地を治めていたテオドリンダ女王が所有していたのが記録されているもっとも古い歴史である。
王冠は大聖堂内部左手展示室に安置されていて、観覧するには大聖堂に隣接している美術館にいってチケットを購入しなくてはいけません。展示室の観覧時間は15分と決まっていて、必ずガイド同行(イタリア語、英語)で観覧することになります。
この王冠の基盤素材は金と銀が80%、直径は15センチで重さは535gとされています。その周りには24種バラ細工とさまざまな宝石がちりばめてあり、圧巻の一言です。
この王冠は6世紀にこの地を治めていたテオドリンダ女王が所有していたのが記録されているもっとも古い歴史ですが、その後この王冠は歴代の王たちに継承され続け、イタリア国王のみならず、ナポレオンがミラノでの戴冠式の際にも使用されたとされています。この王冠の内側を支える鉄はキリストを十字架に打ちつけた3本の釘を加工して作られたとされており、そういう伝説が数々の王を魅了してきたのかもしれません。ちなみに3本の釘のうちもう一つはミラノ大聖堂、あとのひとつはローマにあるとされています。9月の第3日曜日は「釘の日」ということで、ミラノとモンツァ両方でこの釘のために毎年セレモニーが行われます。(引用)
画像:Google 2016。最寄り駅はMonza。
さて、これから詳しく調べていくことにしましょう。