スチャバ (Suceava) 2016.07.14

 

  まったくの余談なのだが、VW Passatの運転手が語ってくれた現地事情を記録しておきたい。彼が語るに、

 

1. Suceavaには昔は大きな工業地帯があって、大工場が林立し、労働者はそこで容易に職業にありつけた。

2. ところが現在は工場の数が激減してしまって、Suceavaの街には働き場所がない。若者はすべて西欧に働きに行ってしまい、Suceavaの街には老人と私のような親の面倒を見る必要のある人間がわずかばかり残っているにすぎない。(私のようにすこし英語を話すことができる人間は観光客相手の運転手の色を見つけることができてラッキーだ。)

 

 とにかくSuceavaの街には働く場所がなくなってしまったというのである。

 

  

   画像:Google Map, 2016 Suceavaの工業地区

 

 上はGoogle MapのSuceavaの工業地帯である。鉄道線に沿って鉄道引き込み線を備えた巨大な工業地区(1960年代に開発された)の輪郭が見えるが、その大部分の工場は取り壊されて更地になっていることが読み取れる。

 

画像:S.C. Ambro SA(段ボール厚紙工場)横の巨大な工場が二棟取り壊されている。右側の大きな煙突はもともとそこにあったレーヨン工場の煙突らしいが、煙突はのこされたまま、レーヨン工場は取りつぶされ、現在はIulius Mallというショッピング・センターに変身している。

画像:Google Map, 2016 S.C. Ambro SA (段ボール厚紙工場)

 

 結局この工場地帯に残っているのは森林資源を材料とする段ボール厚紙工場だけがかろうじて操業しているように見える。この工業団地の北側(線路際)にはこの巨大な工業地帯のユーティリティーを賄うユーティリティー・センターがまだ残っているが、開店休業のような有様である。

 

画像:鉄道引き込み線の方向から眺めた工業地帯。工場らしきものの姿はみえない。鉄道引き込み線も撤去されている。

 

 なぜこのような状態になったのか、運転手君にはさっぱり訳が分からぬようだったが、このような悲惨な状態は欧州連合(European Union、略称:EU)へのBukovina地方(ルーマニア)の加盟によってもたらされたものなのだ。1960年代にスチャバの街に造成された工業地帯は、往時には食料品工場、洗剤工場、家具工場、鉄鋼加工工場など実生活に必要な資財の工場で満員だったにちがいないが、ルーマニアが2001年にEU加盟してからというもの、これらの工場は急速に死に絶えた。

 

               

               画像:Medieval Monuments of Bukovina, ACS Publishing, P75,

                  Dragomirna Monastery (ドラゴミアナ修道院)

 

 

 初代国王Bogdan Ⅰによって成立したモルダヴィア(Moldavia)王国が西暦1363年誕生して以来、Bukovina地方では二つの大きな資産が形成されて継承されてきた。ひとつはさきに述べたBukovinaの修道院群であり、これらは世界遺産として指定されたこともあって、この地方の重要な文化遺産となっており、多数の観光客を引きつけている。もうひとつは、モルダヴィア王国が開始し、その後時勢に応じて転変しながらも最終的にはルーマニア国が開発するにいたった地元経済資源である。

 

 

この地元経済資源はもともとはMoldavia王国により設定された関税により、そして近年まではルーマニア国による関税障壁により手厚く保護されてきた。従って労働者が地元で就職する企業が充分に存在したのである。

 ところが2001年にルーマニアがEUに加盟したことで事情は大きく変化した。2001年1月1日をもって関税障壁は撤廃されたのである。欧州全体の市場が垣根なしの一体化した自由市場となり、結果として勿論のことだが、小さい市場相手に少量の商品を比較的高価で生産販売していた地元産業資本は消滅した。

 もともとこれらの小規模工場地帯で生産されていた消費財や建設資材などは、EUのなかの経済力の強い国々(ドイツ、フランス、イギリス)で集中的に生産され、周辺弱小国にトラックで運ばれてくるようになった。周辺諸国にもともと存在していた地元経済資源は「無償で」EUに召し上げられたのである。また、失業した労働者はオーバーフローしたので、周辺弱小国の住人はドイツ、フランス、イギリスへ出稼ぎにいかなければならなくなった。

 これが現状の在り姿である。

 

 考えてみるとしかし、こういう現象は過去の日本の高度経済成長期に日本で生じていた現象である。戦後、1955年から1973年まで日本の経済活動は東京と大阪の二極に集中し、大量の若い人達が集団就職によって全国からこの両地区にかき集められた。

 このときに集められた若い日本人は東京、大阪両経済圏のなかでかき混ぜられ、「日本人」が形成された。九州の熊襲も北海道のアイヌもひとしくごちゃ混ぜにされ平均的「日本人」ができあがったのだ。

 こうして経済成長を遂げた日本は、その後、日本中に大工場を分散配置し、全体として強力な生産資源国を形成するにいたっている。

 

               

               画像:安保闘争後に成立した池田勇人内閣は、1960年末に

                 「国民所得倍増計画」を閣議決定しました。

 

 EUは過去の日本と同じく、労働者を欧州内先進三カ国周辺に集め、混血させて「欧州人」をつくりあげることを目標としており、かつ生産集約のために周辺諸国の地元産業を取潰し、ドイツ、フランス、イギリスの三カ国で集中生産を行ない、経済的効率化を達成し、欧州内で高度経済成長政策を取り進めてきた、とこう考えてよいようだ。

 

 ところがこの欧州の高度経済成長政策は日本の池田勇人が手配したようにはうまく進んでいない。高度経済成長が達成されているのはドイツだけで(つまりドイツだけに生産機能が集約してドイツだけがボロ儲けの状態となり)、英国もフランスも中度あるいは低度経済成長に甘んじている。当然ながら、ドイツが突出してEU拠出金を支払うべきところを、彼らは英国、フランスと比較してそこそこの金額しか拠出していない。これで英国内の不満が突発してEU離脱という国民投票の結果にいたった。

 

 

 こういう経緯で英国離脱問題が発生したのだが、これをEU周辺諸国の立場から考えてみよう。

 英国がEUから一方的に離脱するというのであれば、英国はBukovina地方をEU加盟以前の元の状態に戻す義務が生じる。

 

画像:6月22日、TNSの世論調査によると、英国の欧州連合(EU)離脱支持の残留支持に対するリードが2ポイントと、先週の7ポイントから縮小した。ジョンソン元ロンドン市長(左)らによる離脱派のキャンペーン、英セルビーで撮影(2016年 ロイター/Ed Sykes)

 

 Bukovinaは2001年EU加盟の際、EUの規約に従って、関税障壁の撤廃、域内往来の自由、域内就職の自由等の規制緩和に応じてきた。この内もっとも影響の大きかったのは関税障壁の撤廃であって、これで室町時代以来延々と資産形成に励んできた地元産業資産を無償で(タダで)EUに提供してしまったのである。英国がEU離脱するというのであれば、生産集約地の主要三カ国の一国として、BokovinaがEUに無償で提供した地元産業資産を旧状回復してもらわねばならない。 さもないと、うまい汁だけ吸ってEUを離脱する英国は「籠抜け詐欺」を行ったことになる、と考えなければならない。

 

英国が国民投票で離脱を決定したとき、メルケル首相がEU首脳会議に現われ、開口一番「食い逃げは許しませんからね」と言った一言が印象に残る。

 

画像:ドイツ メルケル首相 Angela_Dorothea_Merkel

 

 私は別にくわしく計算したわけでもないけれど、英国が良識をもって「離脱」するのであれば、英国の数年分のGDP相当額をペナルティーとして支払います、と自発的に発言するのが、「正義」を建前とする英国のとるべき態度であろうと考える。