イタリア語会話(2)
2016/01/31
画像:雲丹のスパゲッティ サバティーニ東京のHPから。
私が冬の間住んでいるのは北陸の某大都市であるが、大都市とはいえ、この大都市が属している県全体の人口が110万人で、さいたま市の人口より少ない。私が住んでいる「大都市」そのものの人口は46万人なのだから、東京の近辺でいえば、江東区の人口(49万人)よりもすくない。江東区ならば東京の近くのベッドタウンだから、イタリア人が住んでいる可能性は極めて高いが、私の住んでいる「大都市」にはまずそのような「変な外人」は住んではいない。だから、イタリア人が教えるイタリア語教室なんてものはそもそも存在しない。独学で勉強する以外に方法はないのだ。
そこでインターネットで「イタリア語 中級からの勉強法!」を読み、そのとおりに学習を開始した。Imparare LeggendoシリーズのIndagine a FirenzeをAmazonで取り寄せて、これを勉強し始めた。
画像:Indagine a Firenze 内容がしっかり詰まっていて
素晴らしいテキストブック。この本がこのシリーズでは「初級」
なのであって、直説法現在の活用に主眼がおかれている。
未来と命令と半過去がたまにでてくる。
まず、辞書をひきながら翻訳をする。はじめはさっぱり分からないが、6章の内3章分ほど翻訳すると様子が分かってくる。これは慣用語であるとか、イタリア語ではいくつかの単語を連結して一つの単語にしてしまうことがあるとか、主語は普通省略するのだとか、だから、動詞の活用形で主語を推定するのだとか、いろいろ分かってくる。
はじめから完璧な理解を得ようと思わないことがコツなのかもしれない。はじめは分からなくても、勉強を繰り返すうちに分かってくるからだ。
画像:男の子が鉢巻を巻いて、夜にテスト勉強をしている。
ただ、辞書(私は白水社のil primoを使っているが)に出て来ない単語とか、読んでも意味が通らない慣用句が随分とでてくる。私は考えた末に、インターネットの辞書、「Italian-English Dictionary」を使うことにした。インターネット上の無料辞書とはいえ、非常によくできた辞書で、多数の使用例が記載されており、これで大抵の言い回しは推定できるようになった。日本語の辞書には限界があることが分かる。なにごともすべからく辞書に頼れば完全に理解することのできるドイツ語と違って、イタリア語はくねくねしているから、沢山の類例を示してもらわないと理解できないようになっている。
画像:フィレンツエのサバティーニ、東京店
テキストがフィレンツエを題材にとっているものだから、フィレンツエ料理のことこまかい説明
まで載っている。この一見余計な説明がとても楽しい。そういえば、久し振りにサバティーニに
行ってみたい、という気がおきる。
難しいのは音読だ。CDをWindows Media Playerに入れて、再生しながら音読できるように注意深く聴きとる。発音だけでなく、イントネーションも聞き分けて、メモしながら音読の準備をする。
最終目標は、CDすべてを暗唱できるようにすることだ。
画像:ビステッカ フィオレンティーナ。これはサバティーニ・銀座店が提供する
Tボーン・ステーキだ。Il secondoというのかな。美味しそう。でも、最小単位
が500gだから、私たちの胃袋では3人で食べても多すぎる?
辞書を引いて翻訳するのはあまり難しくない。難しいのはCDを聴いて音読できるようにメモをつくるのが難しい。時間がかかる。時間がかかるうえにすぐ疲れる。聴力への注意の集中というのは(私が慣れていない所為か)あまり長続きしないからだ。疲れてしまうから、すぐなにか食べたくなる。なにか少し食べると、休憩になるので、疲れもとれるのだが、ついつい食べ過ぎてしまう。私は体重がすごく増えてしまった。
暗唱練習をやりながら感じることだが、役者というのは台本を読みこなすだけではなくて、暗唱できるように自分を訓練するのだろう、と思う。だから、自分が新劇の役者になったつもりで、セリフを暗記して音読をくりかえし、暗唱するまでもっていけばよいのだ、と分かる。
画像:「 勧進帳 」で 弁慶を「 團十郎 」、富樫を「 海老蔵 」、義経を「 梅玉 」という超豪華な顔ぶれ。
芝居の基本はセリフだ。
ただ、あまりに単調な仕事なのですぐさま飽きてしまう。大袈裟に言えば、「自分に鞭打って」努力しなければ暗唱用台本を作ることができない。一ヶ月かけて6章のうちまだ2章しかできていない。前途遼遠だ。この調子では、渡航予定の5月までにいくらかでも進歩ができているとは、とても思えない。まあ、絶望的な心境というのかな。
では皆様ご機嫌よう。